名古屋鮮魚卸協同組合の岩田理事長が旭日双光章を受賞しました。

当協会会員の名古屋鮮魚卸協同組合の岩田理事長が旭日双光章を受賞されました。長年にわたり水産仲卸業界の発展に尽力されたことが評価されたものです。受賞した感想や長く市場に関わってこられた中で印象に残ることなど、貴重なお話を聞いてきました。


――――秋の叙勲での旭日双光章受章おめでとうございます。率直なお気持ちをお聞かせください。

 自分一人の力でなく、組合員をはじめとする仲間や市場内の方々、全国の各市場の方々の理解や応援があってのものと、感謝しています。


――――岩田水産へ入社してから50年以上になります。長く本場で働いていて、感じた印象を教えてください。

 本場では父親の代から50年以上関わってきました。それだけの期間携わっていると本場の周りも市場自体も大きく様変わりしました。この辺りはもともとは貯木場の池みたいな場所で、この本場も沼地みたいな場所でした。当時はトラック輸送は少なく、貨物列車の輸送が中心で市場内のせり場まで線路があり、場内に踏切がありました。荷捌きは木箱に入った荷物を「手がき」という先端の金具を木箱に引っ掛けて使う道具を利用して行っていましたね。他にも氷水と魚が満杯に入った樽を手作業で貨車から降ろし、リヤカーで運ぶなどでした。改めて思い出せば大きく変わったと思いますが、日々働いている中では変化として感じてこなかったように思いますね。

建物も当時は木造でした。電話は場内に交換手がいて、交換手を通して電話をしていました。いまとは通信手段ひとつとっても全然違いますね。

流通は貨物列車が多いので、生きたものは少なかったですね。トラック輸送が発達して生きたものが入荷するようになりました。当時は生きたまま入荷するのは近海ものぐらいでしたから。ただ、漁獲量は現在に比べて多く、エビ類やカニ類も豊富にありましたね。いまは幻のエビと言われる「大正えび」なども毎日、木箱に千個・二千個と貨物で運ばれてきていました。アジやサバ、スルメイカやイワシ、サンマなどいわゆる大衆魚はたくさん入ってきていました。いま思うと懐かしい時代ですね。現在は大衆魚の漁獲量が少なく、高級魚よりも値段が高くなっていることもあります。海水温や海流など海の状況が変わってきていることや物流のルートが変化してきていることが要因だと思います。それから外国諸国の漁獲方法が発達し、日本がおされぎみになっていることも要因のひとつではないでしょうか。


――――本場の鮮魚卸協同組合の理事長として20年になります。理事長をやってきて印象に残ったことを教えてください。

 理事長という仕事は自分の担当のことだけでなく、あらゆる対外的なことも含めた窓口とならなければいけません。引き受けたからには一生懸命に務めたいという思いがありますから、努力して勉強して、今に至るように思います。

就任当時は、年齢的にも全国の理事長に比べて若く、あまり意見を聞いてもらえないような雰囲気があり、苦労もしました。しかし、自分は名古屋市の代表として出席しているという思いで、自分の考えをしっかりと主張してきた結果、少しづつ全国の市場から認めてもらい、一歩一歩、歩んできたように思いますね。

そのように自分なりの主張をしっかりしていくことを続けてきた結果、最近では、市場法の改正の際も、全国水産物卸組合連合会の市場法の専門部会の会長を務めさせていただき、ある程度こちらの思いを取り入れてもらえたように思います。

また消費税増税の軽減税率導入については、青果、食肉含めた総合の組織として消費税問題検討会の委員長も務めさせていただきました。食料品(生活必需品)の消費税増税は避けるべきという業界内の意見を取りまとめ、軽減税率の導入を訴えました。最終的には要望通りの制度になり、良かったと感じていますね。


――――全国の卸売市場と比べた時に、ここ本場の強みはなんですか。

 まずは、立地の良さ。日本の中央であるため集荷という点で見ても強みです。そして、市場としてせり取引を大事にしてきたこと。せり取引は、仲卸の価格形成という市場の役割を果たしていると同時に市場内を活気づけることになります。相対取引は合理的で安定した取引ができるので、こうした利点を理解し、取り入れていくことも必要です。しかし、せり取引では、荷がたくさん集まれば、それをさばく力もある。せり取引を堅持してきたことは、名古屋市場の強みではないでしょうか。


――――鮮魚卸協同組合の理事長として、今後の目標を教えてください。

次世代の人たちが安心して仕事ができるような土俵を作っておくこと。

行政とともに市場をより良く改善していくうえで、今までの経験を活かし、指針になれればと思っています。